【アナザーテラー#02】厄介な協力者
September 10,1912/ 16:45:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
「すみません、あの」
夕方、一人でホテルの裏庭の門から出てくる若い男性に、マンフレッドは声を掛けた。協会員の制服にボサボサの金髪。こちらをちらと見た彼は、門をぴったりと閉じ、鍵をかけた。
「あんた、記者?」
こちらを見ずに、ぶっきらぼうに彼は言った。
「それともツアーに興味が? なら馬車置き場に行きなよ。無料のチケットを配ってる」
「ニューヨークグローブ通信の、マンフレッド・ストラングです」
名刺を彼に差し出すと、ようやく彼はこちらを向く。名刺を受け取り、凝視した。
「ああ、なんだ。会長の親父さんの新聞社じゃないか! それならそうと」
彼は笑顔で右手を差し出す。
「僕はマーク・オーメン。おたくのオーナーには世話になったんだ」
「そうでしたか」
マンフレッドは差し出された手を握り返した。友好的な彼の様子に、ほっと胸を撫で下ろす。
「実は、ホテル・ハイタワーについて色々と調べているんです。よろしければこの後、お話を伺えませんか」
「ああ、いいよ」
「感謝します、オーメンさん」
マンフレッドとマークは、ニューヨーク・デリの奥、テーブル席でコーヒーを挟んで相対していた。
「まずは、ご職業を伺いたいのですが」
「フリーの金持ち」
「……」
彼は真顔で即答した。まずい、苦手な人種だ。
「すみません、もう少し詳しく」
「悪かった。一応、不動産会社の役員」
「なるほど。協会にはいつ頃入られたのですか」
「できて一ヶ月くらいかな。実を言うと、エンディコットさんに言付かってたんだ、無茶しないように見ておいてくれって。娘さんのことが心配だったんだろうな」
どうやら、オーナーの知り合いらしい。どうりでマンフレッドに友好的だ。
マーク・オーメンの話では、協会の規模はかなり大きく、ニューヨーク中の富豪、ことにその子息のほとんどがニューヨーク市保存協会の活動に何らかの形で関わっているらしい。
そして、その会長……ベアトリス・ローズ・エンディコット。
マンフレッドの所属するグローブ通信のオーナー、エンディコット三世の末娘。複数の慈善団体の代表を務めるベアトリスの信頼は絶対的だった。
「彼女がホテルを『保護』してる限り、エンディコット三世はホテルに手を出せないだろうなぁ。たしかに彼は大会社の社長だけど、人間的な信頼では娘の方が勝ってる。女性の権利を主張する団体のほとんどが、彼女の味方だって話だ。親父さんにとっては相当厄介だろうね。何て言ったっけ? 頓挫した事業があったよね」
「エンディコット・グランドホテルですね」
それだ、とマークは頷いた。
「ハイタワー三世の栄華の象徴、そして最後の証があそこにある限り、親父さんはずっとハイタワー三世の影を感じていなきゃならない。だから取り壊して自分のホテルに作り替えようとしたのに……」
「邪魔された。それも、実の娘に」
「まったく、ややこしいよな」
「ああ……ややこしい。ほんとに」
マンフレッドは頷きながら、ベアトリスの鋭い眼差しを思い出していた。内に秘めた強い意思を感じさせる瞳。誰にも、ホテルを取り壊させたりしない、と彼女は言い切った。
──たとえ相手が、実の父であったとしても。
「ところでツアー中、何か変わったことはありませんでしたか」
マンフレッドが尋ねる。マークは一瞬、ぎょっとしたような顔をした。
「変わったこと」
「何でも構いません。呪いの偶像と呼ばれているシリキ・ウトゥンドゥの周囲で、何か妙な事は起きていませんか」
「いや、無い……と思うけど。いかんせん僕は案内役よりも広報みたいなことをしているから、話に聞くだけなんだ」
「どんな話を」
切り返され、マークはしまった、というような顔をした。
「別に、たいしたことじゃ。ただ、ゲストがいなくなったはずの書斎から物音が聞こえたり、笑い声が聞こえたり……」
「笑い声、ですか」
「そう。それも、誰かと話すような感じじゃない。ただ、ギャハハハ、みたいな、それこそ可笑しくてたまらない、みたいな調子で誰かが笑う声が部屋から聞こえる。何だろうと思って扉を開けると、誰もいない。そんなのが時々あるらしいんだ」
「なるほど……」
マンフレッドは、メモにペンを走らせながら、最後にあのホテルに入ったときのことを思い出していた。
ベアトリスに誘われ、ホテル・ハイタワーのツアーへ行ったときのこと。マンフレッドはホテルの一画に、人が独りで姿を隠せる程度の居住スペースを見つけていた。
ある部屋に置かれたアステカの石像。その後ろに、隠し部屋へと続くハシゴがある。そこを登った先には、汚れた食器と酒瓶の散乱した部屋があった。ベアトリスすらも知らなかったその場所には、13年間放置されていたはずのホテルにあろうはずもない生活の痕跡があったのだ。
「あのホテルに誰かが潜んでいる、という可能性はありますか」
「……誰かって」
マークはマンフレッドに聞き返す。彼の様子はとぼけているわけではなく、ただ純粋に、ホテルで噂される何者かの気配の正体を知りたい、というふうだ。
「私は以前あのホテルで、人の生活の痕が残った居住スペースを発見しました。彼女……ベアトリスも一緒の時です。彼女から何か聞いていませんか」
「いや、何も」
マークは首を振る。「誰かあそこに住んでるのか」
「今は分かりませんが……あのときは確実に、それもついさっきまで、誰かがその部屋にいたような印象を受けました」
「まさか、そんな部屋があったなんて……」
「何なら、場所をお教えします」
マンフレッドが切り出した。「あまり明瞭ではないのですが、まだ部屋の場所の、大体の見当はつきます」
「ほんとに?」
「ええ。ただ、ベアトリスが部屋について話していないとなれば、あの部屋のものがあの時のまま残っているとは考えにくい。片付けられてしまっている可能性もある。……それでよければ」
「きっと、ツアーの評判に関わることは表沙汰にしたくないんだろうな。ホテルの変な噂も、部外者に漏らすなって会長から言われてたし……えっと、その、ストラングさん。今日の事はできれば内密に」
「心得ました」
その後、マークはマンフレッドの質問に幾つか答えた後、謝礼を受け取り立ち上がった。
「どうも。なんか……かえってこっちの方が色々聞いちゃったな」
マークは苦笑して頭を掻いた。
「よろしければまた、お願いします」
マンフレッドは丁寧に言うと、立ち上がってもう一度握手する。マークと別れた後も、マンフレッドはテーブルで資料を整理した。……マンフレッドはあの部屋について、あえてマークに伝えていないことがあった。部屋の主についてだ。
あの部屋に残されていたのは、ホテルに関する新事実、そしてハイタワー三世の失踪についての資料が挟み込まれた従者の日記だった。
従者、ハイタワーの右腕──アーチボルト・スメルディング。
ハイタワー三世の失踪から、幾日も経たずに姿を眩ませた男。
惨劇を知る彼が、13年経った今でもホテルの周囲を彷徨いている。アーチーと名を変えてベアトリスの前に現れ、ニューヨーク市保存協会の立ち上げを提案したのも彼だ。
彼は13年前のあの惨劇を知っている。にもかかわらず、無知なベアトリスを半ば傀儡のように使い、ニューヨーク市保存協会を立ち上げた。ホテルを遺し、偶像を遺す。
マンフレッドには確信があった。
部屋の主スメルディングはあの部屋で、かつての主人を待っていたのだ。そして今も、偶像の呪いに関するなにがしかを企んでいる。
だが、とマンフレッドは思う。
(この事実を、マークに達に明かすべきだろうか)
皆が危険に晒されることを望む者がいる。そんな事実を今明かすべきなのか、マンフレッドには分からなかった。
September 11,1912 06:00:00
Water Front Park, New York
彼は屋敷を出て、今朝もいつものように徒歩で公園まで赴くことにした。早朝のブロードウェイを上り、コロンバス・サークルに差し掛かると、コックの姿をした大道芸人のグループが、調理器具を打楽器がわりにした見事な演奏をしていた。
ウォーターフロントパークに入る。
花壇の花々を眺めながら、ゆっくりとした散歩を楽しむ。まさしく、いつも通りの朝だった。──その時までは。
「キルノフスキーさん……ですよね」
公園のベンチに座っていたスーツ姿の男が、不意に立ち上がり、こちらに近付いてきた。
「ニューヨークに戻ってらしたんですね。先日、著書を拝見しました。素晴らしかったです」
「なんだね、君は」
話し掛けてきた男は手に自分の著書を持っていた。が、どうも「ただの読者が偶然話し掛けてきた」という様子ではない。
キルノフスキーは訊ねながらも歩みを止めなかった。
「失礼、私はニューヨークグローブ通信の記者、マンフレッド・ストラングといいます。26年前にあなたが設計を依頼された、あるホテルについてお話を伺えませんか」
案の定、新聞記者のようだ。キルノフスキーは歩みを速める。
「悪いが、記憶に無いな」
「記憶に無い」ストラングはキルノフスキーの言葉を繰り返した。「30年以上前の武勇伝を事細かに著書に書かれていらっしゃいますが、 26年前の大仕事は記憶に無い。確かにそういうことも、あるかもしれません」
「何が言いたい」
キルノフスキーは険のある声で言う。依然記者はキルノフスキーの歩調に合わせ、ぴったりとついて来た。
「雇い主の注文内容や当時の様子など、些細なことで構いません。お話を伺えませんか」
キルノフスキーは歩みを止め、息を吐く。
「ハイタワーホテルに関しては、私は途中で解雇された身だ。覚えていようが話す気は無い。そもそも、雇い主はとっくに死んでる」
「死んだとは決まっていない」彼は言った。「行方不明です」
「同じようなものだ。死人に口無し。彼がいなくなった途端、事が表沙汰になっているじゃないか。皮肉なものだね、彼の報復を恐れて口を割らなかった人物が一斉に悪事を告発した」
「あなたは」
「……」
キルノフスキーは口ごもる。記者は続けた。
「あなたに支払われた謝礼金の出どころについて調べました」
「なら解雇時に全額返したことも当然ご存じだろうね」
「汚れた金だと知っていたから、受け取らなかった」
「いいじゃないか、今更。いない者の悪事を暴いて何の意味があるんだ」
「それは」
そこまで言うと、記者が言葉に詰まった。
「君の暇潰しに付き合う暇はない」
そう言い残して、キルノフスキーは再び歩み始める。記者は追ってこなかった。
ふん、と鼻を鳴らす。すると、背後から記者の声がわずかに聞こえた。
「意味はある、絶対に」
それは何となく、自分に向けての言葉ではなく、記者自身に向けたもののような気がした。
「なぜ、口を閉ざすんだ」
デスクに腰を下ろして開口一番、マンフレッドは独りごちた。渋面で会社に戻ったマンフレッドに、思い出したくないんでしょうね、とボブキンズは言う。
「そもそもハイタワーホテルはただでさえ経営的に採算の合わない事業でした。そんなものの建築に関わったなんてこと、普通は忘れたいもんですよ」
「それはそうだが」
「──あ、そうそう。これ、頼まれていたものです」
ボブキンズはマンフレッドに帳面を差し出す。「オーナーから借りました」
船会社「U.S.スチームシップカンパニー」の従業員名簿だった。この会社もまた、マンフレッドのボスであるコーネリアス・エンディコット三世の持ち会社だ。
「よく借りられたな」
マンフレッドは帳面を受けとる。「緊張しただろう」
それはもう、とボブキンズは苦笑した。
「ストラングさんに言われた通り、石炭を積む作業員に絞ってあります。とはいえ他人の情報が記載されてますから、扱いは慎重に」
「わかってるさ」
「次はご自分でお願いします。あの人、顔怖いんだもの……」
言い残し、ボブキンズは去る。
マンフレッドはぱらぱらと名簿をめくり、内容に眼を通した。その中に、ある名前を探していた。
(キジャンジ……)
ハイタワー三世がコンゴ・ロアンゴへ遠征に出掛けたさいに、出会った原住民族「ムトゥンドゥ」。
シリキ・ウトゥンドゥを守護神として崇拝していたムトゥンドゥの首長の名がキジャンジであった。そして最近、U.S.スチームシップカンパニーの末端に、「キジャンジ」と名乗る者が籍を置いているとの情報があったのだ。
(キジャンジ……キジャンジ……)
守護神を手放したムトゥンドゥはその後、他の民族の侵攻を受けて滅んだと、マンフレッドは聞いていた。
しかし、キジャンジなどそう多い名前ではない。もし本当にいたとすれば、ムトゥンドゥの生き残りである可能性もある。
(あった)
マンフレッドは蒸気船の従業員欄に、その名前を見た。
……キブワナ・キジャンジ。
これがあのキジャンジである確証は無い。しかし、会って話を聞いてみる価値はある。
まずは現場に行ってみよう、とマンフレッドは立ち上がる。
「ストラングはいるか」
と、自分を呼ぶ声がオフィスに響いた。
「何です?」
同僚が入り口を示す。
「受付にニューヨーク市保存協会の人が来てるぞ」
「協会……ベアトリス?」
「さぁな。話があるとか」
「忙しかったかな」
「いえ、大丈夫です」
マンフレッドがどうぞ、と促すと、マークはテーブルについた。マンフレッドは注文したコーヒーを2つテーブルに置き、正面に座る。
「それで、話って」
「行ってみたんだ」
「……行ってみた?」
「例の部屋だよ」
マークの言葉に、マンフレッドはマークを見返す。「居住スペースに、行ったのですか?」
「場所を教えてくれたろ。ハシゴは外されてたけど、適当なのを見繕ってこっそり上がったんだ」
好奇心でそこまで出来るものなのか、とマンフレッドは素直に感心した。
「何か遺っていましたか」
マンフレッドの問いにいや、とマークは首を振る。
「言ってたような生活の痕跡は無かったな。あと、帳面の類いも。ツアー開始の前に片付けられたんだろうねえ」
「そうか……」
「でも全て破棄されたとは限らない。一部はどこかにあるかも」
「どこかに、ですか」
「そう。どこかに」
言って、マークはにやりと笑った。
「一度、ホテルに来るといい。会長にも伝えてあるから」
マンフレッドは、その言葉の意味が汲めなかった。
「伝えた、とは」
「今日、飛び入りで僕の客人を呼んだから、ツアーの相手をよろしくってね。ベアトリスはオーケーしたよ。それで来たんだ。部屋の話なんてついでさ」
そんな、とマンフレッドは焦る。「急にそんな約束を」
「嫌なら断れるけど?」
「別に、そういうわけじゃなくて……」
心の準備ができていない。前回ベアトリスとツアーに行ってから約ひと月。あの時、彼女とは少々後味の悪い別れ方をしている。
マークはメモを差し出した。
「この時間に、ホテルの裏庭の門の前にいてくれ」
言って、コーヒーを飲み干す。「じゃ後で」
「おい。ちょっと待てよ」マンフレッドは声を上げる。「ベアトリスは知ってるのか?その……来るのが僕だってことを」
黙ってひらひらと手を振り、店を出るマーク。
その背中を見て、マンフレッドは項垂れた。
チャンスと言えばチャンスだが、これは前回の二の舞になってしまわないだろうか。
September 11,1912 / 16:55:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
「その……カミーラ。この絵、ほんとにここじゃないと駄目かしら」
協会員達によって庭園に運び出された絵を見て、ベアトリスは困惑したように言った。そこには17歳の頃のベアトリスの姿が描かれている。
「ええ、こんなに美しい絵は是非とも、ゲストの眼をひくこの位置に」
女性協会員……カミーラの示した先は、庭園の真ん中。古代ギリシャの女神像、エジプトの女王が並ぶ荘厳な中庭の中央に、その黄色いドレス姿の乙女の肖像は置かれることとなった。
「何と言うか……」
気恥ずかしい。そう口に出そうとしたところに、マークがやってきた。
「やぁボス。ご機嫌うるわしゅう」
ベアトリスとカミーラは声に振り返る。
「どっちに言ったの、マーク」
カミーラの問いにどっちもさ、とマークは答えた。
「どちらへ行かれていたの? さっきから、姿が見えなかったようだけど」
ベアトリスが尋ねると、マークは肩を竦める。
「仕事さ。ブルックリンの事業所が不調でね」
「ブルックリンに事業所なんてあったかしら」
「あれ?ナンタケットだったかな?」
「……あなたが嫌われている理由、名前のせいじゃなさそうね」
「おお、綺麗な絵だね」
マークは庭園をバックに描かれたベアトリスの絵をまじまじと見る。「誰が描いたの?」
「ハイタワー三世の従者です。ずいぶん昔の絵なのだけど」
「へぇ。どこにあったんだ、こんなの」
マークが尋ねると、カミーラとベアトリスが顔を見合わせる。
「ええっと」カミーラが言葉を濁した。「バックルームだったかしら?」
ベアトリスは頷いて、にっこりと笑う。
「そうです。確か」
「そうそう」
カミーラも繕ったような笑顔を浮かべる。マークは怪訝な顔をした。
「気味が悪いな、二人とも」
その時、カミーラは中庭の門に現れた人影を見て、真顔に戻った。
「ちょっと。あの男」
カミーラの示した先には、帽子を深く被ったスーツの男。
門の鉄格子の向こう側にいるその人影を見てベアトリスが息を呑むのを、近くにいたマークは感じ取った。
「彼は……マンフレッド・ストラング」
「そう」
マークは不敵に笑う。
「彼が僕の客人だよ」
中庭には三人の協会員の姿があった。マンフレッドの姿を確認すると、マークより先に彼女が歩み寄って来る。
鉄格子を挟んで、マンフレッドは約ひと月ぶりにベアトリスと相対した。
「懲りずにいらしたのですね。ミスター・ストラング」
「またお目に掛かれて光栄ですよ、ミス・エンディコット」
その会話の切り出し方は、まるであの時の心持ちのまま、またあの時のやりとりの続きを始めたような感覚を覚えさせた。
「ここ最近紙面がやたらに静かだと思ったら、こういうことでしたの」
エンディコットは不快さを露に、マンフレッドに詰め寄る。
「あまり呪い、呪い、と騒がなくなったかと思ったら、今度はうちのスタッフを騙してホテルに忍び込もうという魂胆かしら」
「紙面で呪いについてあまり言及しなくなったのは事実です。どうも20世紀の人間は、よく知りもしない科学的思考によってそういう言葉を毛嫌いする傾向がある。しかしこのホテルには、保護だのツアーだのと祭り上げられるような価値などこれっぽっちもない。それは変わりません。
それから、誤解があるようなので訂正しますが、私はホテルに忍び込もうなどとは思っていない。オーメンさんに至極正統なやり方で取材を申し込み、ホテルの調査に協力していただいた。それだけです」
「ほんとにそれだけかしら?」
マンフレッドたちのやりとりを聞いて、マークは両手を上げた。
「まぁまぁ。このホテルもずいぶん綺麗になったんだ、せっかくだから、少しだけでも見せてあげようよ」
会長、とマークは媚びるように頭を掻いた。
ベアトリスは不承不承 、頷く。
「そうね。ひと月かけて、このホテルも営業当時の姿を取り戻しつつあります。ホテルハイタワーの真の美しさを知れば、きっと貴方もツアーの重要性を認識するはずですわ」
ベアトリスは内側から門の鍵を開けた。
マンフレッドは三たび、そのホテルへと足を踏み入れることとなった。
September 11,1912 /17:20:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
「あの時も、ちょうどこの位の時刻でしたね」
マンフレッドはしみじみと言う。
ホテルのロビーは明るく、電気が点いていた。かつて感じた、廃屋じみた薄暗さやカビ臭さが嘘のようだった。ロビー上方に描かれた彼の冒険の肖像も、こうして見ると美しい。
──あくまでも、虚偽に満ちた肖像であるが。
雰囲気だけを挙げれば、営業当時とほぼ同じだ。
「ずいぶんと、手を入れましたわ。殊に照明は」
カミーラが言う。
しかし、とマンフレッドは思う。ロビーの真ん中に置かれた円形ソファには、古びたコートとスーツケースが置いてある。
そこに座っていた貴婦人の姿を、マンフレッドは今でも思い浮かべることができた。
13年前、パニック状態となったロビー。突然の暗闇が訪れる直前、ここには女性が座っていた。飛散するガラス。暗闇から逃れるように、出口へ走ったのだろうか。
そして、ロビーの一番奥にある、ゲスト用エレベーター。
──ハイタワー三世の墓標だ。
ギリシャのアテネを思わせる装飾(恐らく、本物の遺跡から略奪された)に縁取られた、鉱鉄製の扉は無惨にもひしゃげている。その隙間から、青黒い闇が見えた。
事件の記憶が鮮明に、マンフレッドの脳裏に甦る。
「さぁ、待合室へ向かいましょう」
ベアトリスの誘導に従い、マンフレッドたちはロビーの脇を抜け、待合室へ入った。
室内は照明で明るかった。四方の壁に飾られたいくつものハイタワー三世の冒険旅行の写真が、その明かりを受けて光る。
(……13年前の記者会見)
この決して広くないスペースにあの日、報道関係者は集められ、記者会見の開始を待ったのだ。ハイタワーの収集品がどのような過程でこのホテルに集まったのか、こういった写真からも見てとれる。
ひと月前は埃の堆積してひどい有り様だったこの部屋も、手入れが行き届いていた。
部屋の奥の扉、ハイタワー三世の書斎へと続く扉の脇に、拡大された写真が飾ってある。その写真には見覚えがあった。
ハイタワー三世がコンゴ川流域で撮った写真。
彼の隣には原住民の首長も写っていた。
(シリキ・ウトゥンドゥ)
写真のハイタワー三世は木彫りの偶像を腕に抱えていた。守護神とも言われるそれを手にした時の、彼の高揚感が伝わるようだ。そしてそんな彼に、首長……キジャンジの胡乱げな視線が投げ掛けられている。
「さて……」
カミーラが大仰に咳払いをした。「この、ホテル・ハイタワーにある貴重なコレクションは全て、ホテルの創立者、大富豪で探検家のハリソン・ハイタワー三世が集めたものです。1899年12月31日、ハイタワー三世はホテルで記者会見を開き、アフリカの秘境で手に入れたこのシリキ・ウトゥンドゥという、奇妙な偶像を公開しました」
カミーラが写真を示し、快活な口調で続ける。
「そして彼はその夜、行方不明となりました」
「カミーラ」マークが横槍を入れる。「もっとそれっぽく頼むよ」
「そしてその夜。彼は──行方不明となりました……」
「いいね。間の取り方が最高」
言われて、カミーラは子供のようにはしゃぐ。
マンフレッドは息を吐いた。
「なんですか、これは」
「ホテルという神秘の世界へゲストを案内する協会員は、要所要所でこうして説明を入れるのです」
ベアトリスが答える。なるほど、とマンフレッドは苦笑した。
「君は本当に、趣味がいいな」
「さぁ、次は書斎です」
ベアトリスが扉を押す。ぎぃぃ、と嫌な音を立ててそれは開いた。
ステンドグラス越しに陽光が射す。天井は高く、まるで中世の礼拝堂のようだ。だがステンドグラスに描かれているのは神や天使などではなく、ホテルを背にこちらを見つめるハイタワー三世だ。照明は真新しかったが、雲と陽光の加減だろうか、部屋が妙に薄暗く感じた。
あるいは、ゴシック様式の柱の上に置かれた偶像のせいかも知れない。
部屋の最も奥まった場所に、その偶像はあった。
(……シリキ・ウトゥンドゥ)
右手に槍を持ったその小柄な木の像は、柱の上からマンフレッドたちを静かに見下ろしていた。もっとも、その双眸はぴったりと閉じられていたが。
「この偶像が、シリキ・ウトゥンドゥ。落下したエレベーターから見つかったのですが、ハイタワー三世は謎の失踪を遂げました」
カミーラは抑揚の無い声で言う。
「それではハイタワー三世の失踪の鍵を握る、最後の記者会見の録音を、お聞きください」
カミーラが三人に向き直る。そして、書斎の机に置かれた蓄音機に手をかけた。……その時。
「会長!」
突然、書斎の扉があわただしく開く。
眼鏡を掛けた、男性の協会員が飛び込んできた。
「会長、大変です。緊急事態です」
「どうしたのです?」
ベアトリスの声は落ち着いていた。協会員は明らかに狼狽していた。こちらを見て、マンフレッドに聞かれるのを憚るような素振りを見せた。
「その方は客人です」ベアトリスは言った。「何が起きたのですか?」
「え、エレベーターが……原因不明で……」
協会員は、こう言った。
「ツアーBのエレベーターが緊急停止しました。理由がわかりません……原因、不明です」
その言葉を聞き、全員が息を呑む。マンフレッドの背中に、冷たいものが走った。
もうひとつの物語「アナザーテラー」著者:ハロウィン街の幽霊
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