【アナザーテラー#01】記者の追憶と独白
December 31,1899/ 23:59:50
Water Front Park, New York
ホテル・ハイタワーに停電が起きたのは、大晦日のパーティーの最中だった。正確に言えば、新たな年を迎える瞬間だ。
カウントダウンが始まり、興奮に満ちたウォーターフロントパークの人々は、眼前で今まで煌々と照っていたホテルの灯りが突然消えたのを見て静まり返った。
凄まじい轟音とともに緑色の稲妻がホテルの最上階へ落ちる。ガラスというガラスが割れ、飛散した破片はウォーターフロントパークに降り注ぎ、そこにいた人々はパニック状態だった。
ホテルからも大勢の客が逃げ出し、周辺は混沌とした有り様だったという。
December 31,1899/ 23:45:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
朝方に降り積もった雪が、未だホテルを静寂の中に孤立させていた。マンフレッド・ストラングはその夜、ホテル・ハイタワーのオーナーである大富豪で探検家の、ハリソン・ハイタワー三世の凱旋祝賀パーティー会場にいた。
空のトレイを脇に抱え、所在なくマンフレッドはロビーを見渡す。
「お兄さん、これ」
婦人が空のグラスを手渡すので、マンフレッドはたどたどしくそれをトレイにのせた。少なくとも、変装はうまくいっているらしい。
ハイタワー三世が三日前にコンゴ・ロアンゴから帰還したことを祝したパーティー。記者として参加するはずだったマンフレッドは、その日の正午の記者会見で悶着を起こし、祝賀パーティーには招待されなかった。
それでも会場にいたのは、今回の遠征でハイタワー三世が手に入れた呪いの偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」にまつわる、幾つもの不吉な噂がどうしても気にかかり、ウェイターに変装して潜り込んでいたからだった。
マンフレッドの行動力は、会社から高く評価されていた。その頃、マンフレッドの所属するニューヨーク・グローブ通信は、会社を上げてハイタワー三世のスキャンダルを狙っていた。というのも、通信社のオーナー、コーネリアス・エンディコット三世は、ハイタワー三世と長い因縁があったのだ。
マンフレッドは正義感にも似た感情からハイタワー三世のスキャンダルを追っていたが、エンディコット三世の目には「手段を選ばない、行動力のある人間」に映ったらしい。
じっさい、変装はハイタワー三世によく使う手だった。とはいえ、自信があったわけではない。以前、御者の変装をハイタワー三世に見破られたばかりだ。今回もいつ見破られるか気が気ではない。
パーティーを終えたハイタワー三世が、まもなくここに現れるはずだ。
「おい」
不意にハイタワーの声が聞こえたとき、マンフレッドは肝を冷やした。
だがそれはマンフレッドにではなく、傍らに控えたハイタワーの従者、アーチボルト・スメルディングに掛けられた言葉だった。
「お前は向こうで客人の接待をしろ」
威圧的なだみ声に振り返り、マンフレッドは息を飲んだ。報道陣の相手を終えたのか、ハイタワー三世がゲスト用エレベーターの前にいた。白く長い彼の髭は、威厳を演出するかのように整えられている。荘厳な衣装にトルコ帽、その腕には不気味な偶像が抱えられていた。
──あの偶像だ。
「御一緒させていただく約束ではありませんか!」
仔細は聞き取れなかったが、そういう意味合いの言葉だったと思われる。普段は忠実であるはずのスメルディングが、ハイタワー三世に強い語調でそう言い返すのが聞こえた。
エレベーターを待つハイタワー三世が、葉巻の煙をスメルディングに吹き掛ける。
「聞こえなかったか。お前は客人をもてなせ。いいな」
ハイタワーの正面にいたスメルディングの表情は見えない。スメルディングは小男だが、その小さな背をいっそう縮め、悲痛な声をあげた。
「ご主人様、どうか偶像のお扱いには、お気をつけください。そして、くれぐれも敬意をお払いください」
さもないと呪いが、と言葉を重ねるスメルディングを、ハイタワー三世が制する。
「五月蝿いやつだ」
ハイタワーは吐き捨てると、エレベーターに乗り込み、スメルディングを睨んだ。
「馬鹿げた呪いの正体とやらを、見てやろうではないか」
言って、ハイタワー三世は咥えていた葉巻の火を、偶像の頭に押し付ける。
マンフレッドは思わずああ、と声を漏らした。
「だから馬鹿馬鹿しいと言ったんだ。何も起こらんじゃないか」
自分のしたことがさも面白いことかのように、ハイタワー三世は笑う。エレベーターの扉は、静かに閉まった。
がっくりと肩を落とし、閉ざされたエレベーターの扉に背を向けたスメルディングと眼があった。最愛の者の訃報を聞いたような、悲嘆と絶望に満ちたような、そんな表情をしていた。
所在無げに話を始める客人たちを尻目に、スメルディングは助けを求めるようにマンフレッドを見ている。
マンフレッドには、どうすることもできなかった。
──あの忌まわしい事件が起きたのは、その直後のことだ。
December 31,1899/ 23:59:59
階上から突然の爆発音。エレベーター前にいたマンフレッドとスメルディングは、何事かと上を見やる。音は明らかに、エレベーターという縦穴を通してロビーに響いていた。
ゲストたちも不審に思ったのか、ロビーは一瞬の静寂に包まれる。
──と、突然の停電。
建物中の灯りが消え、いたるところでガラスの割れる音がした。悲鳴を上げ、パニックを起こした者たちが一目散に出口を目指す。
「い、一体何が……」
マンフレッドはスメルディングを見た。彼は先程と変わらず、階上をじっと見つめていた。
「御主人様!!」
スメルディングが叫ぶ。
すると……エレベーターから、悲鳴が聞こえた。
「シリキ・ウトゥンドゥの、目がぁ!」
それはまぎれもなく、ハイタワー三世の声だった。
そして、ばちん、と何かが切れるような音。エレベーターの扉の隙間から、緑色の光が漏れる。
(危険だ)
マンフレッドは咄嗟にスメルディングの肩を掴み、エレベーターから離れるように後退した。轟音をたててエレベーターの扉がひしゃげる。ハイタワー三世を乗せて最上階へ向かったはずのエレベーターは、落下したのだった。
その後、マンフレッドはスメルディングと共に、エレベーターの中を検めた。
歪んだ扉の隙間からカンテラの光を射し込み、内部を見渡す。しかしそこにハイタワー三世の姿はなかった。
ただ、醜く小さな木彫りの偶像が、こちらを見上げるように床に倒れていた。
September 10,1912 / 11:30:00
New York Deli, Broadway 109
マンフレッドはいつものようにニューヨーク・デリでコーヒーとベーグルを注文すると、ブロードウェイに面したテラスにある一番広いテーブルを陣取り、机いっぱいに資料を広げた。
そのどれもこれもが、ホテル・ハイタワーに関するものばかり。
マンフレッドは長年、新聞記者として、ホテル・ハイタワーの事件を追ってきた。
ニューヨーク市、パークプレイス一番地。
祝祭の街ともよばれるニューヨークであるが、倉庫街や路地裏などのそこここには、静かな孤独が蟠っている。ホテル街で一際目立つ巨大な建造物「ホテル・ハイタワー」は、そんなニューヨークの闇を象徴するものだった。
──ホテル・ハイタワーは1892年にオープンした。
そのときになって突然現れたわけではない。もともとはオーナーの、ハリソン・ハイタワー三世の大邸宅だった。彼は世界中を巡り、文化的価値の高い美術品を集めて大邸宅に飾っていた。増改築を繰り返しては知人を集め、収集品のお披露目パーティーを開く。そして、いつしか「世界中の者たちに、自分の冒険の功績を見せつけたい」と思うようになり、ホテル業界に乗り出したのだった。1886年に建設を開始した当時、ハイタワー三世はオスカー・キルノフスキーという著名な建築家を招き、ホテルの設計を依頼した。キルノフスキーはニューヨーク最大のホテルになるであろうホテル・ハイタワーの建築に関わることを光栄に思った。しかしほどなくして彼は、自分が作ろうとしているもののあまりの異常さに嫌悪を抱き、自分勝手な雇い主に呆れ、離れていった。ハイタワー三世は彼を無能と罵りクビにしたとされているが、事実は違う。
(キルノフスキー……彼は自分から辞めたのだ)
彼がいなくなってから、ホテルは怪物が成長するかのように増築され、その間にもハイタワー三世の気まぐれで幾度かデザインが変更された。ことに最上階に関しては、ハイタワー三世の自室を構えることもあって、外装のシルエットが不自然にハンマー型に見えるようになるほど拡張された。
その間もハイタワー三世は遠征を繰り返す。インド、エジプト、アジア……行く先々で、文化的価値の高い美術品を持ち帰っていた。
その多くは、違法なやり方で。
ホテルのオープンから七年後、ハイタワーはコンゴ川に遠征した。その時に持ち帰ったのが呪いの偶像、シリキ・ウトゥンドゥだった。
あの日、ハイタワー三世の従者であるスメルディングと共に体験したあの忌まわしい事件。マンフレッドは、その原因がシリキ・ウトゥンドゥの呪いによるものだと考えていた。
マンフレッドは資料の中から、偶像の写った写真を取り出す。
木製で小柄、丸い頭に幾つもの釘が刺さっている。台座に自立しているその偶像は手足が短く、まるで子供のようだ。偶像の両目と口も横一文字に結ばれ、これもまた機嫌の悪い子供に見える。
(偶像の目が開いたとき、それは起こる)
おそらく、「呪い」と呼ばれる種類のもの。
マンフレッドが確信するのは、すでに事件以後、ホテルでそれらしき事象に遭遇していたということもあった。
──あの偶像は危険だ。
マンフレッドはテラス席から、通りの向かいにあるカールッチ・ビルの三階を睨み、胸中で独りごちた。ビルの三階は現在、ホテル・ハイタワーを管理している団体「ニューヨーク市保存協会」 の事務所だった。
ニューヨーク市保存協会は三ヶ月ほど前に設立された、文化財保護を名目とした組織だった。だがその内実は、ホテル・ハイタワーを保護下に置き、啓蒙活動の拠点とすることだけを目的としている団体だ。それもそのはず、協会の設立者は幼い頃からハイタワー三世に傾倒していたベアトリス・ローズ・エンディコットという女性なのだ。
彼女は偶像の恐ろしさを知らない。
今協会が催している「恐怖のホテルツアー」こそ、無知の証左だ。あれだけの惨劇を起こした偶像を再び人目にさらすなど、望んで新たな事件を起こす事に等しい。
だが、とマンフレッドは思う。
(彼女に罪はない)
マンフレッドは、彼女を糾弾する資格を持たなかった。ベアトリスがハイタワーに傾倒しはじめたのは、マンフレッド自身が原因だったからだ。
September 10,1912 / 14:00:00
The New York Globe Telegraph,Broadway 117
「そんなにホテルが気になるなら、協会の人に頼めばいいじゃないですか」
そう言ってマンフレッドのデスクを殊勝な顔で覗きこむのは、後輩記者のボブキンズだった。
「会長から直々に招待状を受け取ってるストラングさんなら、協会の人も悪い顔はしないでしょう?」
そうだな、とだけマンフレッドは返す。けれども、事は彼の言うほど単純ではなかった。マンフレッドは事実、一度ベアトリスからツアーの招待状を受け取り、ホテル・ツアーに参加していた。だがそれでわかったことと言えば、ベアトリスはホテル・ハイタワーに対し文化的価値があると思い込み、ツアーを止める気などさらさらないこと。そしてやはりあのホテルには偶像の闇が潜んでいるということ。その程度だ。
いくつか新たな事実が記された資料も目にしたが、あいにく持ち出せてはいない。
彼女はおそらく、もう誘ってこないだろう。
マンフレッドの複雑な表情を見て、ボブキンズが怪訝な顔をした。
「ひょっとして僕、余計なこと言いました?」
「いや……君は間違っていないよ。確かに、協会の助けが必要かもしれない」
ベアトリスの協力は期待できない。だが、それ以外であれば。
マンフレッドは荷物をまとめる。
「ちょっと出てくるよ」
「手伝います?」
「いや、いい」
マンフレッドは立ち上がる。
(協会員の数は多い。誰でもいい、ツアーの実情だけでも知っている者を)
今、ホテルのツアーはどのように行われているのか。日に何人のゲストが、何人の協会員の案内によって廻るのか。そこに問題は無いか。
(知る必要がある)
──ツアーの中止に足る理由が、何処かにありはしないか。
もうひとつの物語「アナザーテラー」著者:ハロウィン街の幽霊
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