【実践】思考の檻を出て、自由に冒険しよう
※この記事の内容はフィクションです。
人類の多くが神の存在を信じていた時代。
人々は自らの運命や宿命を受け入れ、農民は農民、羊飼いは羊飼いとして生きていた。運命を信じる人にしてみれば、農民は王様にはなれないし、羊飼いは神父にはなれない。
では、冒険者や探検家たちは生まれながらにそうだったのだろうか?
今や世界中から冒険家を志す人々が集う、地中海の港町"ポルト・パラディーゾ"。
もちろん彼等のお目当ては、冒険家探検家学会、通称SEA(Society of Explorors and Adventurers)の拠点である要塞(フォートレス)だ。
純粋なる知識の探求を目的とした学会の存在は、ザンビーニグループの出資やフライト・ミュージアムの特別展をきっかけに大きな注目を浴びるようになった。
その一方で、彼らが目的としている「純粋なる知識」とは何なのか、未だ理解されているとは言い難い。
彼らがなぜ冒険家たりえたのかを知るには、その「純粋なる知識」が重要なキーワードとなる。
SEAは20世紀に入る以前から、冒険家の組織として信仰から大きく距離を取っている。農民や商人出身の冒険家が少なくなく、その性質上、人の生きる道はその人自身が決めることができる、というスタンスをとっているからだ (無論、過去に神学分野において顕著な成果をもたらした会員がいたことも否定はしない)。
冒険者は進路を自分自身で決める、というわけである。
その上で重要になるのが「知識」だ。
かつて、人々の疑問に対して知識で導く役割を担ってきたのは宗教や神学であった。
しかし、宗教や神学の解釈には多くの不条理や、不自由が存在する。確かに、不条理や不自由は受け入れてさえしまえば楽かもしれない。
だが、それは真の意味での知識と言えるのだろうか?
SEAの人々は宗教に限らず、それまで当然とされてきた前提や常識を「思考の檻」と呼び、徹底的に排除して純粋なる知識の探求に没頭した。
人類の発展のために。そして、よりよい人生の航路を選択するために。
↑SEAのスローガンを示す4つの紋章。左から順に冒険、発見、革新、ロマンスを表す。
ではもう少し、具体的に彼らがどうやって純粋なる知識を探求しているのか、前回の入門編からさらに深く掘り下げて、その思考法を見てみよう。
SEA思考法には、Science〈科学〉Engineering〈工学〉Art〈アート〉の3つの要素がある。
具体的な事例を見てみよう。下図は、「人はいかにして空を飛ぶか」という問題に対する、ファンタスティック・フライト・ミュージアムが提示したアプローチだ。
「空を飛ぶ」という大きな夢を、最初に可視化したのがアートの世界だ。アルキタスの「鳩」に始まり、巨大な耳で飛行する象に股がり滑空する人々など、じつに様々な想像の産物がミュージアムには飾られている。
しかし、それはあくまでも想像の中での話。
なぜ、人は空を飛べないのか?
そしてなぜ、鳥は空を飛べるのか?
神学の世界では「何を当たり前のことを。人は鳥ではないからだ」とか、「神がそのように作ったのだ」と一蹴されてしまうような問いだ。
サイエンスの世界ではその答えを「質量の大きな物体にはより大きく重力がはたらく」「気圧や気流を利用することで鳥は飛行する」と表現した。
サイエンスを具体的な形に落とし込むのが、エンジニアリングの世界である。重力や流体力学など様々なサイエンスを具体的な形にしたのが「飛行機械」と呼ばれるものだ。ここでの複合的な考察が、新たな被造物(アーツ)としてのパッサローラや真空飛行船の概念を産み出した。
空への憧れが最初にあった。人々はアートでそれを表現した。
その後、サイエンスによって分析された課題をエンジニアリングが具体的に解決し、新たなアーツが誕生する。そしてまた、その結果をサイエンスが観察し、更なる課題を提示する。
先人たちの考察で見事にループを描き、その末に実装したのがカメリアのドリーム・フライヤーなのである。
純粋なる知識とは、以上のようなS→E→Aの思考サイクルを使った試行錯誤の末に得られる活きた知識であり、一朝一夕で手に入る代物ではない。
また感情や固定観念に囚われた、フィルター越しの視点で得られるものでもない。
思考の檻を出た自由な発想の持ち主のみが到達できる成果なのである。
では次に、それぞれの思考についてより深く見てみよう。
物事は多面的である
あなたが例えば本や実験記録を読んで、その内容を「わかった」としよう。
その「わかった」は、本当に正しいのだろうか。
認識に偏りは無いか?
そもそもその情報が間違いでは?
世の中には白と黒だけではなく、様々な色がある。
別の言い方をすれば、四角形や三角形ではなく、多面体なのである。
本当は円錐であるのに、「円である」「三角形である」と断じて、都合のいい結果だけを切り取ってはいないだろうか。
信用性の高い仮説でさえも、あくまで仮説なのだ。
世の中のあらゆる決定が暫定的な結論に過ぎないという視点が欠かせない。
あえて例外に注目する
熟練の科学者は、あるモデルやパターンを発見したとき、そこから外れているサンプルの特徴に注目するという。
古代ローマの学者であるクラウディオス・プトレマイオスは、当時火星などで見られた「逆行」という天体の運動に逆らう動きを、「周転円」と呼ばれる小さな円を描きながら地球の回りを回転しているために起こると説明し、天動説の地位をより確かなものにした。
逆行する惑星に対して「そういう星もあるんだろう」と片付けずに、その例外すらも包括するより本質的なモデルを提案した、「例外処理」の 模範と言える。
コペルニクスが最初に唱えた、同じ現象をよりシンプルに説明した「地動説」によって、現在天動説は否定されている。二つ以上の説が対立すると、サイエンスの世界ではよりシンプルな説が採用される。
ディティールの連動
エンジニアリング的な思考は、小さな問題を1つずつ解決して、その積み重ねで最終的に大きなことをやり遂げる考え方だ。
ダ・ヴィンチは、「空を飛ぶ」というマクロな課題に対して「推力を得る・揚力を得る」などのミクロの要素に分解し、それぞれを連動させて飛行を可能にしようとした。
全体と要素、蟻の目と鷹の目を往復しながら試行錯誤を重ねていく。根気のいる方法だが、SEAのメンバーは不思議なことに嬉々として取り組んでいる。
苦労を苦労と思わないところが、彼等の才能かもしれない。
世界を知り、自らを知る
エンジニアリングが課題の解決のための思考法だとすると、アート思考は課題を認知する思考法だ。
世の中にはどんな問題があるのか。
その問題は何故存在するのか。
アートとは単に芸術というだけでなく、人間が作ったあらゆる被造物(アーツ)を示し、哲学や文学、音楽などをも内包している。
その出発点は他ならぬ自分自身。自分と世界との関係性を見誤れば、当然優れた問題設定はできない。
アート思考に大切なのは、世界を知る、ということなのだ。
アートを学ぶとはすなわち、地域や国、人種によって縛られてきたあなたの可能性を広げること。
人間は自身のアイデンティティを決定できる唯一の存在だ。世界を知り、問いを重ねて、自分を形作るその力で、芸術家達はときに論理を越えて時代を進め、パラダイムを変えてきた。
SEAの冒険家たちも日々学び、アート思考によって自身や社会に対する問いを深めている。
S→E→Aの思考サイクルは以上のように、ものごとの本質を見極めると同時に、人生を善きものにする最大のツールだ。是非ともあなたの今後の冒険活動に活かしてもらいたいと思う。
(文:Iris Endicott 写真:Ariel Ojisan)
この内容はフィクションです。
実現するアトラクションに関する一個人の創作でありの公式設定を紹介するものではありません。
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