【解説】ザンビーニ流、稼げる農家の条件
※この内容はフィクションです。創作色の強い記事なので、予めご了承下さい。
ここは活気溢れる港町ポルト・パラディーゾでもっとも古い建物にあるレストラン、「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」。世界中で人気のワインブランド「FRATELLI ZAMBINI」(フラテッリ・ザンビーニ)が最初に製造されていた場所として知られる。FRATELLI とは「兄弟」を意味するイタリア語。開拓者の血筋である彼らは元々、ここで農家を営んでいた。そこから製造、販売、小売、レストランへと次々に事業を展開し、不動の地位を築いてきた。その活躍ぶりの裏にあるものは何なのか。そもそもの始まりは、多くの農家が抱える「素朴な悩み」だったという。
農業は「作物を育てる」という特性上、ある種の安定した側面を持っている。しかしその一方で、育った作物が収穫され、キャッシュになる時期は長くても6ヶ月程度。
シーズン外の農地は管理に追われるばかりで、昨年の貯金を崩しながら何とかやりくりすることが多い。大地主だったので、さすがにそんな逼迫した状態ではなかったが、仕事のない状況で人を雇うのは採算が悪い。
「オフシーズンでも人を雇いたい。ワイン製造業の始まりはそんな理由からだった、と聞いています」(フラテッリ・ザンビーニ 広報)
10年先、100年先までザンビーニの名を残す。その目標の元に、オリーブオイルとワイン作りが始まった。
↑丘陵の上に広がるブドウとオリーブの農地。ここで作られるワインとオリーブオイルは名産品として、今や世界中の人々に愛されている。
南ヨーロッパ産ワインへの人々の期待値は非常に高かったものの、ザンビーニのワインの出来はその期待に充分以上に応えうるものだった。
ワインやオリーブオイルのヒットはさらなる豊富な資金をもたらし、念願だった従業員の通年採用も行われ始める。
今まで収入で得た資金をオフシーズンで使うばかりだった頃とはうって変わり、製造業で花を咲かせたザンビーニ兄弟。
当時のCFOだったプリモ・ザンビーニは、不作に備えて溜め込んでしまっていた資金を、さらなる生産性向上のためレストラン業へ投資することに。
そして、圧搾所を改築して作られた"ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ"はまたしても大ヒット。
↑レストランに今も残る、ワインの製造器具や運搬に使われた樽。
「農家は技術者ではなく経営者だ」(アントニオ・ザンビーニ)
世間において、農家は"技術者"であると思われがちだが、彼らの姿は紛れもなく"経営者"だった。
利益を使い尽くすこともせず、また不作を恐れて溜め込むこともせず、適切な場所に投資を行い、結果として従業員に安定的な待遇を約束する。
かつてありふれた港町だったポルト・パラディーゾが真の意味で発展し、楽園たりえたのは、彼らの手腕のおかげなのだ。
ザンビーニ兄弟は、海岸沿いに持っていた自分達の別荘を、ある国際組織に貸し出していた。
Society of Explorers and Adventurers(冒険家探検家学会)、通称S.E.A。
16世紀のはじめから対岸の要塞を拠点としていた彼らの存在は、人々の憧れだった。
ザンビーニ兄弟は、彼らの理念「純粋なる知識の探求」に心打たれ、多額の融資をするとともに、自身の別荘をホテルに改築して「ホテル・ミラコスタ」としてオープン。
噂を聞き付けた冒険家たちが世界中から訪れ、この港町をますます発展させたのだ。
↑ホテル・ミラコスタは今や、階下も含めて大規模な商業施設となりつつある。
たしかに、農家として培われた永年の勘や知識は大切だ。しかし、「農家は技術者ではなく経営者だ」という言葉の通り、農家の持つ課題である人手不足や資金難は、収支計算・経営を疎かにしている農家にとっては決して一時の豊作や補助金などでは解決できない。
ザンビーニ兄弟のような、オフシーズンを活かす長期的な目線と、大胆な攻めのビジョンが必要なのである。
(写真/執筆:Iris Endicott)
この記事の内容はフィクションです。
実在のアトラクションやプロップスに関する一個人の創作であり、公式の設定を紹介するものではありません。
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