【特集】ダフィサイドの是非を問う
この内容はフィクションです。
また、ダッフィーに対して懐疑的な記事です。不快な思いをされる場合があります。
ご了承ください。
ダフィサイドという言葉がある。サイド(cide)とは、「殺す」という意味を持つ接尾詞だ。ジェノサイド(genocide)のような単語に見られる。
新興観光資源であるダッフィーというキャラクターを推すようになってから、町はどのように変わったのか。
ダッフィーによって移住や暮らしの変容を余儀なくされた町の人々が、変わりゆく町の姿をときおりダフィサイドと言う言い回しで表現する。
今回は、ケープコッドという漁村を紹介し、新興観光資源の総合的な管理の必要性について問う。
ケープコッドはタラの岬を意味するのどかな漁村である。
名産品のタラの缶詰工場の他、灯台や船着き場、船乗り達の釣り道具置き場がある。この漁村の始まりの歴史と言われている「2隻の移民船と2人の船長」の話はあまりにも有名だ。
今から15年前、ニューヨークで流行した熊のぬいぐるみが、その一年後にケープコッドのマスコットキャラ的な存在、ダッフィーとして知られるようになった。
最初にダッフィーをケープコッドに連れてきたのは、地元で雑貨屋を営む女性、マーガレット・スターバック……通称ペグおばさんである。
彼女は熊のぬいぐるみのやさしいフォルムと手触りに惹かれ、得意の手芸によって瞬く間にダッフィーをケープコッドのマスコットにした。
さらに村役場までもがダッフィーを用いた村興しに出資し、船の整備場をダッフィー専用の劇場に改装までしたのだ。
ダッフィーの経済効果は図り知れない。今も実際に多くの観光客が訪れ、多額のインバウンド消費をもたらしている。
だが、それらは全て、新興観光資源がもたらす、謂わば陽の部分だ。
その影には人知れず、塗り替えられた景観があり、変わり果てた人々の生活があり、そして消えていった住人たちの存在があった。
街頭を飾る熊の装飾。見方によれば可愛らしいが、漁村の景観という観点ではどうだろうか。
元々村には漁村独自の景観があった。
漁師の道具や船着き場。
そこに突然現れた、不釣り合いなキャラクターたち。
有名なカーシェアリングサービスであるビッグシティビークル社は安全上の理由で、ある時点からニューヨーク~ケープコッド間での運行を取り止めている。ある時点とは、ダッフィーが村に現れ、商店に人がごった返すようになった時期からだ。
確かに経済効果はあるかもしれない。
しかし、ダッフィーの存在はこの村の観光価値、不動産価値を本当に上げていると言えるだろうか。
かつて村でボートの整備工場を経営していたドナルド・フォントルロイ氏(仮名)は、土地の観光活用を行いたい地主と対立。
不当に地価を上げられ、謂わば排他的ジェントリフィケーションとも言える手段でその工場を追われた。
今その場所は、ダッフィーがその友達とふれ合う様子を描いたショーの、専用の劇場となっている。
以前のフォントルロイ氏を知るJ.W.パーシー氏は、残念そうに言った。
「お客様は確かに大事です。しかし、その土地の住人ほど大事なものはないはず」
グッズを求める客でごった返す雑貨屋、柵に自分のぬいぐるみを並べる観光客。
転売に対しても何ら対策を立てず、売れ行きが下火になると新たなキャラクターを投入する役場の姿勢。
村興しという目的があって生まれたはずのダッフィーは、ダッフィーそれ自体の存続の為に村の生活を犠牲にしている、と言わざるを得ないだろう。
観光資源の総合的な管理の重要性が今、問われている。
(文章:Iris Endicott 写真:アリエルおじさん)
この記事はフィクションです。
実在のキャラクター、アトラクション、ショップに対する個人の創作です。
公式の設定を紹介するものではありません。
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