【アナザーテラー#04】ムトゥンドゥの末裔に取材した先に
February 2, 1897 /15:00:00
Endicott House, New York
マンフレッドがエンディコット邸にやってきたのは、ニ月ニ日のことだった。
エンディコット三世の在宅を見計らっての来客は珍しくなかったため、大抵その時間は使用人が玄関の近くに控えている。しかしその日は急な休みで使用人がおらず、彼のノックに最初に気づいたのは末娘のベアトリスだった。
「すみません」
ドアの向こうから聞こえたのは、明瞭で落ち着いた男の声だった。
扉を開くと、くたびれたスーツを着た若者が驚いたようにベアトリスを見下ろしていた。
両手に大量の書類を抱えている。
「どちら様ですか」
十四才の少女に迎え入れられたのが意外だったのか、彼は虚を突かれたように棒立ちになる。「いや……えっと。コーネリアス・エンディコットさんはいるかな」
彼の口調は落ち着いていたが、どこか焦っているような、もどかしいような雰囲気を感じた。まるで、大発見を発表する前の、学者のような。
「パパのこと?」
「え? ああ、そう。お父さんはいるかな」
「二階の書斎よ」
ベアトリスはメインホールの階段を示す。
ありがとう、と彼は言い残すと、そそくさと階段へ向かう。途中、階段の前の絨毯にひらりと書類の一部が落ちた。
「あ……」
ベアトリスが声を掛ける暇もなく、彼は姿を消してしまった。仕方なく、ベアトリスは書類を拾い上げる。
「……真実の冒険物語……」
それは雑誌の一部のようだった。挿絵に描かれているのは、威厳に満ちた髭面の男。ベアトリスは彼に見覚えがあった。
「ハイタワー……三世。ハイタワー!」
ホテルの創業時、壮大なパレードを催してニューヨーク中を魅了した人物。彼の冒険旅行の物語だった。
(あのハイタワー三世の知り合い?)
ベアトリスは雑誌を握りしめ、胸を踊らせて階段をかけあがる。父の書斎へ向かった。
……ドアを開けようと、ドアノブに手を掛けたその時。
「ハイタワー三世の弱みを掴んだんだ!」
ドア越しに聞こえたのは、あの若者の声だった。
ベアトリスははっとして、ドアノブから手を離す。(弱み?)
そっと、扉に耳を押し当てた。二人のやりとりはごにょごにょと聞きづらかったが、どうやら父の新聞社に雇われたくて、あの若者はハイタワー三世の記事を持ち込んだらしい。
スキャンダル、不正、といった単語が聞こえた。
ベアトリスはゆっくりと扉から離れる。
そして、雑誌の挿絵に書かれたハイタワー三世の顔をじっと見つめた。
「いやな人たち……パパも、あの人も」
ハイタワー三世は、すごい人に違いない。
パレードを見て、ベアトリスは確かにそう感じたのだ。なのにあの二人は、彼を悪く言うばかりか、世間に広めようとしている。
何にせよ、とベアトリスは思う。
……真実は、この物語に書かれているはずだ。
September 18,1912 /04:00:00
NYCPS Office,Carlucci Building 3F
ベアトリスは事務所の古めかしい机に向かい、書類を作っていた。ツアーのエレベーターが停止した原因の調査書を市に提出しなければならない。
(そもそも、事故と呼べるほど大事でもない)
エレベーターは誰も乗らない時間から動かなくなった。前日の点検で何がしかを怠り、切るべきものを切らず、あるいは点けるべきものを点けずにおいたから調子が悪かったのだと、そう自分に言い聞かせた。
──もう問題なく、全てのエレベーターは動かせる状態にあるのだから。
「よし、と」
ベアトリスはタイプライターから指を離した。窓の外を見やると、空が赤らんでいる。
(朝……)
座ったままうんと伸びをすると、タイプライターを机の隅によける。今度は机に額を着け、だらんと腕の力を抜いた。埃っぽい床に、華奢な指先が触れた。
端から見れば死体のような姿勢であることは自覚していたが、疲労感には抗えなかった。
かたまってしまった指をぶらぶらと遊ばせる。
(余裕ができたらちゃんとしよう)
日を見て掃除もしなければ。思えば、色々と先延ばしにしている。ハロウィンパーティーの企画は部下に投げたままであるし、コレクションのリストもまだ半分も埋まっていない。協会の組織としての課題も多く、いずれはきちんと仕組みを作らなければ。今のままでは漠然とし過ぎている。
不意に、遊ばせていた指が椅子の脚にぴんと当たった。
「痛い」
September 19,1912 /11:30:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
ホテルハイタワーのエレベーター停止と、偶像の消失──あれから数日が経った。
ホテルへ向かうと、マークがカミーラと共に入口に立っていた。彼は『休止中』と書かれた札を掲げている。マンフレッドが声をかける前に、マークはこちらに気付いた。
「ごめんカミーラ、ちょっと抜けるよ」
「抜けるって……またあの記者とつるんでるの?」
カミーラがこちらを睨む。マークは札をカミーラに押し付けると、親しげに歩み寄ってきた。
「やぁマニー。誠意を見せてくれたね」
「マニー……」
「機械点検で当分ツアーは休みだ」
マークは肩をすくめる。マンフレッドはマークに、恐る恐る尋ねた。
「……ベアトリスの様子は」
「会長?ああ、事務所で詫び状を書いてる。何組か、事前に招待してた客がいたんだ」
「そうか……」
「まぁ直ぐに落ち着くさ。あんたには借りを返さないとね」
マークは懐から、二枚のチケットを取り出し、ひらひらと振ってみせた。
「……何の真似だよ」
「君の会社の隣にシアターがあるだろ。そこでやるコンサートのチケット。一番良い席を2つ取ってある」
不敵な笑みのマーク。マンフレッドは両手を上げて制止した。
「いや、悪いけど、僕は仕事が恋人みたいなものだし」
「違う違う違う、口説いてるんじゃない。会長を誘えよ、このチケットで」
「ベアトリスを? なぜ」
「一回ゆっくり話し合えっていう僕の提案さ。もちろん、ハイタワーの話題は禁止」
突拍子もない話に、マンフレッドは首を振った。
「来るはずない、彼女が」
「来るさ」
僕を信じろ、とマークは笑った。
「僕にとっちゃ安いもんだが、無駄にするなよ」マークはチケットをマンフレッドの胸に押し付ける。「あと他の協会員に見られるな。君ははっきり言って嫌われてる」
マンフレッドは苦笑して、チケットを受け取った。
「お互い様だろ」
September 19,1912 /18:30:00
New York Deli, Broadway 109
Present Day
あれから10日もしないうちに、ツアーは再開された。機械系統の不具合は解消され、偶像は何事もなかったかのように、書斎へ戻ったという。
「この間の騒ぎのことなんだけど」
ツアーが再開された後も、マークとマンフレッドはこうして度々顔を突き合わせていた。
「あのあと、ツアーのシステムが変わったんだ」と、マークは言う。
「変わった」
ああ、とマークは頷いた。
「じつはあれ以前から物の場所が変わることがあってね。どこの誰が物を動かしてるのか知らなかったけど、誰も気にしなかった。でもあの日以来、物品の管理が厳しくなった。担当者はエリア制になり、エントランス担当、ロビー担当、待合室・書斎担当、というように、自分の割り当てられた場所は自分の責任で守るしくみになったんだ。もちろん、物の管理もね」
それで、少なくともツアー中に物が勝手に移動することはなくなるものと思われた。だが、そうはならなかったのだ、とマークは言う。
「続いたんだ、相変わらず。協会員が目を離したほんの数秒の間に書斎の竜の置物は消え、倉庫の床に現れた。柱の上に置かれたはずの偶像は何度も消えたし、誰かが走り去る足音を聞いた者もいる」
「その人たちから話を聞けるかな」
「いなくなったよ。気味が悪いってさ」
「……会長はそのことを?」
「知ってる。誰かの悪戯だと言って聞かないけど。でも彼らの話が本当なら、人間業じゃない」
マークはマンフレッドをひたと見た。マンフレッドは深く、頷いた。それは、今まで続けてきた調査が認められる日が近いことに、確信と言える確かなものを初めて感じたからだった。
September 19,1912 / 20:55:00
The Hotel High Tower, Park Place 1
「もう遅いです、戻られては」
「いえ。もう少し」
「……では、鍵を」
ベアトリスは鍵を受けとると、小さく微笑んだ。
「ありがとう、カミーラ」
エントランスから出ていくカミーラを見届け、ベアトリスは書斎へ向かう。途中、冒険旅行の写真が飾られた小さな部屋を通った。
ヨーロッパやインド、エジプト。そこに飾られた写真はハイタワー三世が辿った栄光の旅路を示す証だ。無論、小説の内容は誇張されている。そんなことはわかっている。
だが、他の誰が、現実にこれだけの美術品を集めることができただろうか。
(なぜ、わかってもらえないのかしら)
ツアーを始めた当初、協会は活気に満ちていた。ベアトリスを信頼している資産家は多く、多額の寄付金が集まった。協会を発足し、手続きを終え、ホテルを保護下に置いたとき、「自分は正しいことをしている」という確かなものをベアトリスは感じていた。
しかし、相次ぐエレベーターの不具合。そして物品の勝手な配置変更。──今となっては全てが自身の無能の証左のように思える。
現実に、機器の点検によるツアー休止が長引き、協会の支持者には不信感を抱くものも出始めた。
重い足取りで、書斎の扉を潜る。
机には蓄音機、ドラゴンを象った小物の数々。ステンドグラスのハイタワー三世が、ベアトリスをじっと見下ろしていた。
ほんの数ヶ月前、13年間放置されていた廃墟を少しでも営業当時の姿に近付けようと、ベアトリスは必死だった。
ゴシック様式の柱には、シリキ・ウトゥンドゥが静かに鎮座している。
(……呪い)
September 19,1912 /18:30:00
New York Deli, Broadway 109
ニューヨーク・デリは、店内の一部が元々衣装スタジオだった部屋を改装した場所にあるため、内装が独特だ。壁一面に掛かった衣装をぼんやりと眺めながら、マンフレッドは今日会ったキブワナの証言を思い返していた。
(ということは、やはり)
エンディコットの従業員名簿を頼りに会いに行ったあの眼光鋭い若者は「あの」キジャンジだった、ということだ。
「まだ作業がある。少ししたら出直してくれ」
キブワナ・キジャンジはマンフレッドの名刺を暫く眺めた後、そう言って船に石炭を積む作業に戻った。彼の様子は少しくたびれたふうに見えた。衣服は長時間作業のために汚れ、髪を手入れする暇もないのか、ひどくボサボサに絡まっている。埠頭を見渡すと、周りの従業員も皆同じようだった。
仕方なく、マンフレッドは埠頭にある、石炭を積んでいる船尾のすぐ傍らのベンチに腰掛け、彼を待った。
日差しは柔らかい。埠頭に吹く風は潮を含んで重かった。
(彼は、何を求めてNYへ来たのだろう)
どこか憔悴したような雰囲気の中でも、キブワナの眼光は鋭かった。彼を育んだ部族……ムトゥンドゥ族は、コンゴ・ロアンゴ遠征中のハイタワー三世にシリキ・ウトゥンドゥを奪われ、まもなく滅んだと聞いた。
当時部族の長だった彼の父親と、ハイタワー三世の二人が写った写真が今も残っている。
写真に写った父親の眼も、ギラギラと光っていた。ハイタワーに対する憎しみのためか。あるいは。
「話って何だ」
キブワナはマンフレッドの隣に座ると、無愛想に言った。二十代半ばぐらいだろうか。体格がよく、上背のある若者だ。
「お手数をお掛けします。単刀直入にお聞きしますが、シリキ・ウトゥンドゥについて、知っていることを教えていただきたい」
全て、とマンフレッドは言葉を重ねる。キブワナは宙を見て、唸るように息を吐いた。まるで予想通り、とでも言いたげに。
「話すことは何も無い」
「些細なことでも構いません。あの呪いの偶像と、あなたの部族との関係で思い出せることがあれば」
「……『彼』はおれ達の守り神だった。たぶん、いちばん永い間『彼』に仕えていたのはおれ達だと、そう、父から聞いた」
キブワナの「仕える」という表現に、マンフレッドは部族と偶像の当時の関係性を垣間見た。シリキ・ウトゥンドゥのもたらす恵みや守護は、常に信仰と引き換えなのだ。
「ハイタワー三世のことは、覚えていますか?」
キブワナは首を横に振った。
「あまり覚えていない。思い出そうとすると、記憶が霞がかるんだ」でも、とキブワナは続ける。「『彼』がいなくなった後、火を囲んでの宴があったのを覚えている。火を見たのはそれが初めてだった」
マンフレッドはキブワナの言葉をメモに書き留めながら頷いた。
「ムトゥンドゥ族は火を使わない部族でしたね。少なくとも『彼』が集落を守っている間は」
キブワナは瞬いた。
「そうだ。『彼』は、火が嫌いだったから」
守り神を喪った部族が唐突に始めた宴。そしてその宴には、タブーであるはずの火が使われた。守り神の嫌っていたはずのものだ。
「……集落の中で、偶像を手放したがっていた者はいましたか」
マンフレッドが訊ねると、キブワナは苦笑する。
「あんた、おれが言わなくたって知ってるじゃないか。何でも」
「まぁ、調べましたから……長いこと」
「『彼』と手を切りたがっていた者は、多かったんじゃないかな。子供の前では、誰もそんな様子を見せなかったけど、おれは何となく感じていた。大人たちの……畏怖を」
そう言うと、居心地が悪そうな顔をした。突然、視線が泳ぎ始める。
「どうしました」
マンフレッドは訊ねた。
「ああ……なんで」キブワナは悪寒に堪えるかのように身をすくませる。「なんで今更……ああ」
キブワナの様子が明らかに可怪しかった。
「この話は……ここまでにしてくれ」
「何故です?」
「『彼』が……」
狼狽したようにキブワナはベンチから立ち上がり、マンフレッドを振り返った。見開かれた眼が、怯えたようにこちらを見ている。
低い語調で、キブワナは言った。
「『彼』がこっちを見てる……!」
マンフレッドはテーブルに資料を広げていた。
キブワナのあの様子はなんだったのだろう。
あれから少しインタビューを続けると、曾祖父が偶像を手にした経緯を覚えている限り話してくれた。彼の祖父もまた、偶像を捨てようとした罪によって裁かれたらしい。死の恐怖を、繰り返すことになったという。
あの場にはキブワナとマンフレッドの二人だけであるのに、終始ひどく他聞を恐れるような素振りでインタビューを終えると、「礼はいい」とだけ言ってキブワナは姿を消した。
(悪いことを、しただろうか)
生まれた場所を捨て、NYで再起を図ろうという若者にとって、今日のマンフレッドの取材は決して歓迎できるものではなかったはずだ。何か、嫌な記憶を思い出させてしまったのだろうか。
考え込んでいると、不意に声を掛けられた。
「今日はテラスじゃないんだな」
顔を上げると、マークがテーブルの向かいに座ってきた。「パーティーの打ち合わせが終わったんで寄ったんだ。お邪魔かな」
「……いや」
マンフレッドはマークの前にまで広がった資料を、申し訳程度にまとめる。
「ちょうど、聞いたことを整理していたところだ。……ひょっとして、探させたか」
「ううん。『資料を広げて一日中テーブルを占領してる客はいるか』って聞いたら、店員がここを教えてくれた」
「一日じゃなく半日だけど」
「それより、何かわかった?」
マンフレッドは少し悩んで、首を横に振ってみせた。
「ぼちぼちかな」
マークは息を吐く。
「そっか……」
「でも、あの部族が呪いを信じ、それゆえに偶像を手放したがっていたのは確実だ」
「アレの呪いの恐ろしさを知っている者なら、自然だよ」
「そう思うか?」
マンフレッドの問いに、マークは頷く。
「僕らのやってる『恐怖のホテルツアー』だって、ただの人集めの文句だ。目的は啓蒙活動だし、呪いを見に来るつもりでツアーに参加する人はいないよ。……あんまり」
「じゃあ、この男は特別だな」
そう言ってマンフレッドがファイルから取り出したのは、ある似顔絵だった。山高帽を被り、つぎはぎだらけのコートを纏った老人。
「誰だい、これ」
「……僕は長いこと、この男を探してる。目撃証言をもとに、地図に奴の行動範囲もまとめてみたんだ」
言葉の通り、広げてあったNYの地図には赤い×印がいくつもある。彼が目撃された場所だろう。マークは何かに気が付いたように、両の眉を上げた。
「あー、君がこの男を探してるのって、どうやら取材のためじゃなさそうだね……」
マンフレッドは頷く。
「こいつの名はアーチー。かつてはホテルハイタワーの料理人で、ブルックリン在住だと、会った人間には言っているようだ」
「でも実際は違う」
「そう。正体はコイツだ」
マンフレッドが取り出した写真。それを見て、マークはまさか、と声を上げた。
「こいつ、ハイタワーの旅の写真でよく脇にいる小男じゃないか」
「名前はアーチボルト・スメルディング。ハイタワー三世の従者だった男」
「あの、事件の夜に失踪したっていう?」
「彼は事件の夜、僕と一緒にいたんだ。そして、ハイタワー三世の最期を目撃した。問題はその後、アーチーと名を変えてベアトリスに接触し、保存協会の立ち上げを提案したことだ」
「……嘘だろ」
「事実だよ。協会のツアーによって多くの人間が呪いの偶像と関わりを持ち、危険にさらされているこの現状。作り出したのはスメルディングだ」
もうひとつの物語「アナザーテラー」著者:ハロウィン街の幽霊
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